慈雨のイギリス留学日記

慈雨のイギリス留学日記

開発屋になりたい

恋愛市場 婚活市場ができるまで - Marriage in Changing Japanese Society

Poster Presentationの練習で、趣味など好きなものについて発表しろと言われ、なぜか婚活について語りました。え?婚活って趣味だったんだっけ?

 

確かに、渡英前は婚活を研究することを留学準備の気晴らしにしていました。何か発表しろって言われた時、ある程度すでに調べてあることがいいかなと思って。だからって、婚活が趣味だと思われたらなんかやだな。自己目的化して、絶対成功しなそうですもんね。笑

でも、ウケたんで良いことにしましょう。もう、Marrige HuntingとかLove Marketとか言った時点で、日本人は苦笑、外国人は大笑いです。まあまあ、ユニークな発表ができたと思います。日本のユニークさって、さりげないところにいっぱいあるんですよね〜笑

 

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1.プレゼントされる「嫁」

「婚活」の話をする前に、少し前の世代の結婚を振り返ってみましょう。私の祖母の世代は、戦争世代です。第二次世界大戦の最中で青春を過ごし、戦後結婚をした人たち。その頃はまだまだお見合いでの結婚が一般的であったと聞きます。

お見合い自体は今でもありますが、現代と決定的に違うのは、お見合いは親や親世代の親戚がアレンジし、子供に与えるものであったということ。父系社会がまだ残っている世代ですから、特に女性は親が決めた結婚を断ることは難しかったのではないかと推察します。

祖母は東北の田舎の、商売をやっている裕福な家の出でした。同業の家との間では、女の子供を「嫁」として交換し、関係を強化するという風習があったそうです。つまり、A家の娘はB家に嫁ぎ、B家の娘はA家に嫁ぐ、ということです。

これは一般的な話ですが「嫁」というのは、家にとって働き手であり、後継を生んでくれる重要な存在であったそうです。でも、重要な、と言いながら本人の発言権は相当低かったですから、前の話と考え合わせると、ほぼ「プレゼント」や「商品」として扱われていたのではないかと、個人的には思っています。

戦後、日本はアメリカの傘下に入り、高度経済成長を迎えます。このころから都市部より徐々に核家族化が進み始め、「男は会社、女は家」という図式が出来上がっていたように思います。(それまでは貧しかったのもあり、女性も外に出て働いたり、畑に出て働いたりしていたと聞きます)

年上の人たちを見ると、やはり家(大きな家でも、核家族でも)の代表は父であり、母は家にある、とても不快な言い方をすれば、家の中に所有されているものという印象さえ抱きます。それは、背景に戦前からの父系社会の文化があり、これに高度経済成長期の核家族モデルが融合した結果のように思われます。

 

2.男女雇用機会均等法という転換点

さて、時代が下って1985年。雇用機会均等法ができました。これをきっかけに、徐々にではありますが、女性の社会進出が進みます。これによってどのような変化が家に起きたのでしょうか?

私の母世代は、まだまだ専業主婦が多かった時代です。それは家計が比較的裕福であったことの証でもありますが、やはり、前の時代の価値観も影響しているはずだと思います。その中でも、短大を出た女性は、一度は会社や役所に勤め、社会経験をするようになってきました。

そうすることで、家庭の中でも女性の発言権は強くなったのではないかと思います。家から家へ直接映った女性よりは、一度社会に出た女性の方が経験も知見も多いですから、配偶者と口論になっても言い返しやすいですしね。(例えば、子供の教育をとっても、女性が自分で指導できる範疇がとても増え、存在感はましたのではないかと思います。それが、過剰な負担にもなったかもしれませんが。)また、社会経験があることで、比較的再就職しやすくなる(キャリア的にも、本人の心理的にも)でしょうから、そのぶん女性がパワーを持ちやすくなったのではないかと思います。

私の両親なんかは、もう断然母の方が発言権は強いですからね。あまりに父が弱すぎて、それも良し悪しですが。笑

 

3.恋愛市場のマスコンペティション、結局変わらない社会

では私たちの世代はどうでしょうか?まだまだ男女平等と言い難い点は多々ありますが(総合職・一般職の区別、正社員・派遣の区別)、女性が仕事を持つことはますますメジャーになってきました。少なくとも大卒の女性は「就活」は経験する時代のように見受けられます。女性の方が収入の多いカップルも珍しくありません。男性が全員高収入というわけでもありませんから。

女性が必ずしも家入る必要がない時代?ではやっと女性は「プレゼント」「商品」扱いから逃れることができたのでしょうか。

私は必ずしもそうではないと思います。女性の社会進出が進んだことによって、変わったのは女性側というよりむしろ男性側という気がします。つまり、女性も選ぶ立場になったため、男性も「商品化」したということです。一方で、女性たちもまだ「商品」である…。商品が商品を選ぶ、謎のマスコンペティション状態。

婚活関係のワードにも如実にそれが現れていますよね。「スペック」という言葉を違和感なく使っている人が多いですが、明らかに人間を商品と見ていて、少し距離を置いてみるとかなり奇妙です。労働市場でさえ、昔は「人間のスペック」なんて言わなかったのでは?

もちろん、そういう発想は今に始まったことでもないし、もしかしたら日本に特有なものでもないのかもしれません。でも、少なくとも「離婚するとバツ=傷がつく」という発想には、クラスメートたちはドン引きを通り越して、爆笑でした。

 

4.私たちの未来はどこに?

 「逃げるは恥だが役に立つ」という漫画・ドラマがありましたね。ドラマでは新垣結衣さんと星野源さんが主役をされたのもあり、元のストーリーの力ももちろんあり、とても話題になりました。同時期に連載・放映されていた「東京タラレバ娘」に怯えていた私も、「逃げ恥」ファンの一人です。

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今回、このテーマでプレゼンをして見て、私にとっての「逃げ恥」の意味が少し見えてきました。ヒラマサさんと、みくりさん。この二人は非常にビジネスライクな形で(偽装)結婚を始めました。にもかかわらず、一般の恋愛結婚(多くは法律婚)をしている人たちより、ずっとお互いを尊重しているように見えたのです。

雇用主と従業員といえば、ますますお互いを商品として見ていそうなものです。でも、本当にそうでしょうか。労働力というのは本当に商品なのでしょうか?もしかして、本当に上手く言っている雇用関係、労働市場では、労働力は商品ではなく、人間でありパートナーであるのではないでしょうか。ヒラマサさんが従業員を気遣い、みくりさんが雇用主を励ますように。そして二人がお互いに、リスペクトし合っているように。

恋愛・結婚というプライベートな世界まで商品社会化している現代において、「逃げ恥」が提示した、ビジネスに置ける、人間同士のパートナーシップ。人間同士が取引をする時、商品の取引とは何かが違うよね、という素直な感覚に沿ったものだと思います。皮肉なようですが、この感覚がもっと広まって、そして恋愛・結婚の世界にも逆輸入されれば、もっとみんなが生きやすくなるのではないでしょうか。

 

私はOLをやめて日本を離れたことで、婚活を中止してしまいましたが、まだまだ何が正解かわかりません。

人間が商品であるという発想からついに逃れることができるのか。私たち次第ですね。